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トレーナーになった訳②

石川県金沢市初の「動けるカラダづくり専門」パーソナルトレーニングスペースリークスの岡田です!

パーソナルトレーニングとは、
個人対個人で行うトレーニング指導スタイルになるため、

パーソナルトレーニングに興味があっても、

「どんな人が指導してくれるのだろう?」といった不安みたいなものが少なからずあるかと思います。

という訳で、ちょっとシリーズ的に
私(岡田)という人間について少しずつ開示していこうと思います。

なぜトレーナーになったのか?ということについてを。

トレーナーになった訳②

サッカーに力を入れていた専門学校に行って、現実を目の当たりにして(汗)

「さぁ、この先どうする??」ってところからですが、
トレーナーになった訳①はこちら

いざ、就職となっても「サッカー」しか頭に無かった為、
(サッカーで食っていけるなんて無理だとはわかっていたけど、じゃあどうしたいなんて全く考えていなかった…)

当たり前ですが、路頭に迷います…

そして、専門学校卒業後、当時のコーチの紹介で
まず広島県で電話線工事の仕事につきます。
※地元が山口県の為。ちなみに専門学校は金沢市の学校です。

しかし、1ヶ月で退職します……理由は「やりたい事ではない」から。
(当時、一人暮らしで住んでいたアパートにたまたま来た、布団の訪問販売の方にお断りしようと、なぜか仕事を辞めた話を愚痴ってしまい、説教されるという事もありました)

そして、広島でアルバイトを始めようと水産加工工場で採用されますが1日で辞め、
某大手牛丼チェーン店でアルバイトをしようとしますが、初日に電話で断り、

結局無職で数ヶ月間、社会人サッカーチームで練習だけ参加していましたが、
生活に困り、実家に戻ります…

この辺りから『どうなりたいのか?』を改めて模索し始め、
たどり着いたのが、

『スポーツトレーナー』です。
※いわゆるアスレチックトレーナー(AT)。テーピングや応急処置など主に選手の怪我や体調の管理などを担当するトレーナー

選手として通用しないなら、選手のサポートをする仕事で、
スポーツの世界に関わっていたい!と、

で、『また、学校に行こう!』と決意します。

行こうと選んだ学校はアスレチックトレーナーの学校で(ちょっと詳細は忘れましたが)
現場でのインターン制度もあったりと、

『これだっー!』と思ったのですが、

『そんな金はないっ!!』と親から言われ、(当然ですが…)
またしても希望を失い、路頭に迷います…

それから約数ヶ月程、

コンビニのアルバイトや郵便局のアルバイトなど、
フリーター生活が続きます。 21歳の時。

夜中から朝にかけてコンビニのバイトをし、昼過ぎまで寝て―
そんな生活を続けながら、ただあてもなく就職活動をしていました。

その間、タイヤ販売会社の内定を受けますが、

断り―

生協の配達ドライバーをやろうと面接を受けますが、

不採用―

だんだん、どうでもいいやーという気分になり、特に何がしたいとかもなく、
職業安定所に通う日々を過ごします。完全に迷走状態でしたねー

そんな日常のある日、

いつも通り職安に行き、時間を潰し、帰ろうとした際に、
出口で、声を掛けられます。

『君、自衛隊に入らない?』

『えっ?』

という訳で、陸上自衛隊に入隊することになります(汗)


(こんなシーンはありませんでしたが(笑))

という訳で、パート③に続きますー

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